国際ベンチャーキャピタリスト 奮闘史

新米ベンチャーキャピタリストが投資を通じた新興国の資本市場活性化に奔走するブログ

実は似ている?地方とミャンマーの人々

筆者は東南アジアのスタートアップ企業向けの投資を行う一方で、日本国内の投資案件も担当しており、定期的に地方に赴く機会がある。地方には案件を共に進めるパートナーがおり、共に切磋琢磨しているが、時々、地方特有と思われる空気感に戸惑うことがある。

例えば収益改善案について、地方のパートナーにプレゼンを行った際、アイディアは良いがここでは通じないと検討もせず拒否されたり、検討する旨、回答をもらったものの、その後遅々として進捗しないといった具合である。他にも、合意して導入した業務フローについて、いつの間にかローカルルールに修正される事もある。

このような経験をした時、ミャンマーの官僚機構に対して研修事業の改善提案を行った際の記憶が蘇った。その場では盛り上がるが、少し時間が経つといつの間にか話が消えて無くなるのだ。けして日本の地方やミャンマーに限定される事ではないが、両者共に新しい事業を極端に嫌う傾向があるように感じた。

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なぜこのような状況に陥るのか?色々考えたが、その一つの要因には地方とミャンマーのコミュニティの多様性もあるのではないだろうか?地方のいわゆる過疎地域と言われる所は、教育機関、インフラ、交通手段の制限などに起因してコミュニティが狭まる傾向がある。例えば都市部に住む人間であれば、高校・大学への進学、社会人生活と言った様々なフェーズで色々な人と出会い多様な価値観を育む機会があるが、地方はこのような機会が限定化され、所謂村社会が構築される。

村社会が出来ると、そこでの文化や人間関係にフィットしない人間は仲間はずれにされ、そうした人が去る事で、少数の人間だけが残った(凝縮された)コミュニティで更に保守的な人間関係が構築されるのではないだろうか?

ミャンマーについては、アウンサンスーチー政権を除いて基本的に同国は海外の制裁対象となっていた事もあり、多様な価値観を持つ人はまだまだ少ない。私がケアしていた研修生もミャンマー帰国後しばらくは学んだ事を周囲にプレゼンするなど精力的だったが時間が経つと周りと同化していた。

新しい事への挑戦はエネルギーを要する、従来通りの生き方は楽で心地良い。他方で、地方とミャンマーのこうした状況が両者の活力をゆっくりと奪っているのではないか?自分自身も変化を恐れず物事に取り組み、地方創成やミャンマーの発展に貢献したいと思う。