国際ベンチャーキャピタリスト 奮闘史

新米ベンチャーキャピタリストが投資を通じた新興国の資本市場活性化に奔走するブログ

日本の国際協力から考えるミャンマー情勢

各種報道でも取り上げられているが、ミャンマーでは、軍による国民の弾圧は日に日に厳しくなっている。4月23日には日本人ジャーナリストがミャンマー国軍に拘束されるなど、軍によるなりふり構わない対応に疑問や不満を覚える方は多いのではないだろうか?

欧米諸国を中心としたコンソーシアムは軍系列の企業や軍関係者の資金を凍結するなど圧力を高めている。これに対し日本政府は表立ってミャンマー軍に対する圧力を取っておらず、筆者としても失望を隠せない。日本がなぜ弱腰なのか?今回は日本の国際協力の観点で分析したい。

日本の政府開発援助(ODA)の歴史は1954年10月6日のコロンボ・プランに参加したことから始まった。コロンボ・プランとは1950年に提唱されたアジア太平洋諸国の経済及び社会の発展を支援する協力機構であり、第二次世界大戦後最も早く組織された開発途上国の為の国際機関である。

日本もその正式加盟国の一員として、1955年から研修員の受け入れや専門家の派遣といった技術協力を継続して取り組んでいる。ODAについては独立行政法人国際協力機構Japan International Cooperation Agency: JICA)が一元的に実施している。

JICAは独立行政法人国際協力機構法に基づき設立され、事業の目的は下記の通りである。

  “開発途上にある海外の地域に対する技術協力の実施、有償及び無償の資金供与による協力の実施並びに開発途上地域の住民を対象とする国民等の協力活動の促進に必要な業務を行い、中南米地域等への移住者の定着に必要な業務を行い、並びに開発途上地域等における大規模な災害に対する緊急援助の実施に必要な業務を行い、もってこれらの地域の経済及び社会の開発若しくは復興又は経済の安定に寄与することを通じて、国際協力の促進並びに我が国及び国際経済社会の健全な発展に資することを目的とする。”

JICAの支援事業は国際機関への資金の拠出を除く、二国間援助の枠組みで①技術協力②有償資金協力③無償資金協力の3本柱で構成されている。JICAの支援事業のうち、筆者は①技術協力で、ミャンマーの政府職員に対して、東南アジアにおける資本市場発展の歴史に関するレクチャーを行ったことがある。研修事業についてはJICAの事務局が招聘対象国の事務局と協議の上研修のテーマや対象者を定義し、プログラムをオーダーメイドで策定している。研修では座学はもちろん、企業訪問、プレゼンテーションで構成されて、週末の観光も組み込まれていることが多い。日本で技術を学んでももらうと同時に日本のファンになってもらおうという事なのだ。

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では、ここまでして日本がODAを通じてアジア太平洋地域の開発途上国を支援するのは何故だろうか?JICAのホームページによると、日本による支援はアジア太平洋地域の経済発展と安定につながり、日本の発展にも資すると記載されている。

開発途上国の経済が発展するとそこに経済圏が生まれ、日本企業の製品やサービスを販売する場所になるのだ。加えて、エネルギー資源等を海外から輸入に頼る日本にとってアジア太平洋地域の安定はサプライチェーンの維持にも不可欠だ。最近では2010年中国が尖閣諸島の領土権を巡り、日本に対するレアアース輸出規制を発出したのは記憶にある方も多いだろう。このように、日本の国際協力はある種、安全保障にも繋がっている側面もあるのだ。

出典:JICA 

https://www.jica.go.jp/index.html

 

ミャンマーは中国やインドといった大国と国境を接しており、外交及び安全保障戦略において極めて重要な国である。加えてラストフロンティアとして注目された同国には日系企業も多数資本投下をしている。制裁を加えることによってミャンマーが親中政策に転換する事、日本政府や日系企業がこれまで投下した資本が焦げ付く影響を日本政府は恐れており、欧米諸国と比較して煮え切らない対応を取っている事は否めない。

しかしながら、ミャンマー軍による国民の虐殺は異常事態であり、今後も状況はエスカレートする可能性が高い。日本政府は1989年の中国の天安門事件中国共産党に配慮し、欧米諸国の制裁に加わらず、国際社会から批判を受け、かつ、アジア域内に民主主義を共有しない強力な勢力を台頭させる要因を作ることに加担した。31年前と同じ政治判断を行う事が長期的に考えて日本にとって正しい選択なのか?これを考えながら状況を注視したい。