国際ベンチャーキャピタリスト 奮闘史

新米ベンチャーキャピタリストが投資を通じた新興国の資本市場活性化に奔走するブログ

アジアのラストフロンティア

闇夜に輝く金色の寺、翡翠や反物が所狭しに並ぶ古びた市場、その隣にある最先端のショッピングモール。昔ながらの暮らしは垣間見れる一方で、力強く成長するM国での一週間が経過した。

「Kさん大分こっちでの生活慣れてきたんじゃないですか?」

僕の後輩で半年前から駐在員として会社のM国現地法人で勤務するT君がビール片手にしみじみと語った。

「いやーこっちの状況についてティエムさんや留学生OBから色々教えてもらっていたけど、T君が何かとサポートしてくれて助かったよ。あの会場とかgoogle mapでも正確な位置が分からなかったしT君のドライバーさんがいなかったら一生辿り着けなかったよ。」

一週間を通じて僕は日本の大学が主催する留学イベント、会社が過去に招聘した留学生との同窓会、M国の政府機関に対する外交の他、当社の現地法人視察などをこなした。分刻みのスケジュールの中、イベントに随行してくれたK君やティエムさんには頭が上がらない。

一連のイベントを通じて感じた事はM国民の教育そして日本留学への期待の高さだ。ホテルのコンベンションセンターで行ったセミナーでは様々な人から日本での留学を通じて学べる事、教授できる支援内容と支援を受けるための応募資格に関して質問を受けた。

「明日からいよいよネピドー入りだよ。T君とティエムさんもいないしちゃんとN先生をサポート出来るかなあ」

N先生は元官僚の某国立大学の教授で毎年夏頃大学のプロモーションのため、タイやベトナムを始め遠くはネパールなどにも遠征する大変精力的な先生だ。僕が参加するプロモーションイベントもN先生が日本の大学コンソーシアムと調整して実現したと聞いている。屋台でのディナーもそこそこ翌日の準備のためその日は切り上げた。

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これが首都?M国の首都ネピドーは2006年に旧首都のヤンゴンに代わり首都となった。新旧様々な建物が雑多に立ち並ぶヤンゴンと比較すると街の景観は統一されていて首都になる前は何もない更地だったことを想像される(実際、省庁やホテル群が立ち並ぶエリア以外は地平線まで何もないのどかな景色が広がる)。

財務省にはあと20分ほどで着くと思われます。その後私は先生のカウンターパートのシュエさんとイベントの会場セットアップをします。おそらく30分程度でセットアップは完了すると思いますので、財務次官宛の表敬訪問予定通り行えると思います。」

ラッシュアワーの時間帯、ヤンゴンであれば大渋滞のはずだが、首都の道路は全く車が走っていない。何もない道路を爆走するハイヤーの中で当日のブリーフィングを行った。

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やる気のない守衛とその傍で眠る野良犬(と思われる)。セキュリティーのなさが、この国がいかに平和かを物語る。N先生が打ち合わせの通りわかりやすい言葉で経済に関する基調講演を行い、その後大学プログラムについて紹介を行う。不安定な通信環境に空調もないレクチャーホールでは日本への留学に関心を示す多くの若手官僚が講演に耳を傾けていた。